プミポン国王が死去されましたが、タイ在住経験者/未経験者間で受け止め方にギャップがありすぎると感じた
2016年10月13日、タイ王国のプミポン国王が崩御なさいました。
別に私はタイ人でもなければ、たった1年間タイに住んでいただけの人間です。
でも、このニュースが飛び込んできたときぽろぽろと涙がこぼれ落ちました。
私にとって、このニュースは
「何か親しい人がひとり亡くなって心の支えがひとつ亡くなった、そしてタイにとって非常に大事な何かを失った」
という意味がありました。
全くもって関係ない話ですが、実は私がタイで一時期住んでいたアパートは、プミポン国王が晩年を過ごされ、死を迎えられたシリラート病院から徒歩3分のところにあり、その病院の食堂でよくご飯を食べてました(ここの病院の食堂のバナナシェイクが絶品なんですよほんとに)
病院内には立派な中庭もあり、たまに散歩されていたそうで、そういう話も耳にしていたもんですから、ちょっとした親近感を持ってたんですね。
こういうことをいうと失礼かもしれないんですけど、彼は私にとって近所のおじいちゃん的存在だったんですよ。
でも、それくらい親近感を感じさせる人柄がおありであった、ということがこの崩御のニュースを通してひしひしと感じさせられました。
親近感を感じさせながらも、国民の為に尽くし続けた国王。
タイに住んだことのない日本人からすれば
「人ひとり死んだだけなのに?(国王という自分から遠い存在なのに?」
という感想を持つかもしれないですけど
タイ人(およびタイ在住者)からすれば、彼は国民の精神の支えであったことは明白です、
タイ人と話していると強烈にこれは感じました。
NHKのニュースなんかで、軍のお偉いさんやらが、国王と話す際には、必ず国王の目の前にひざまづいて話している映像が流れたりしましたが、
タイの状況を詳しく知らない私の母は
「なんか新興宗教のトップみたいやな」
という感想を吐き出しましたが、これは決して悪気のある言葉ではなく、むしろ自然な感想なのではと思います。
だって、日本では天皇=ひとりの人間である、という認識ですが、
じゃあこれを
タイ国王は何者か、、、?と考えたときに、私たちと同じひとりの人間である、
とは何とも言い難いし、そうは考えづらいんですよね。
そういう背景を知らずにあのニュースを見て、映像の中で国王が破格の扱いを受けている様子を目にすれば、何か怪しい存在に見えてしまうのも無理はありません。
私はこのタイ国王崩御のニュースを、私の周囲にいるタイに住んだことのない人とは共有することができませんでしたが、
時を同じくしてタイに住んでいた友人のSNSを覗くと、皆SNSのプロフィール写真を黒塗りにし(本当にあのアイコン画像っていうんですか、四角いスペースが真っ黒になってました)、プミポン国王の写真なりイラストなりを投稿し、ご冥福を祈る姿を見せていました。
(タイ人は勿論そうしてました)
そういう姿勢(特にプロフィール写真を真っ黒にする行為)について、タイ在住経験のない人からすれば、まあ不思議ですよね。
そりゃそうですよ、どっからタイのローカル情報仕入れんねんな。
そういうわけもあって、事情を知らない日本人が、タイ在住経験者の真っ黒のプロフィール写真を茶化すことがちょいちょい出たりしたみたいですね。
こっちからすればそういう非礼な日本人が腹立たしかったりするわけですが、でも普通に日本で暮らしてきたら、そういう反応をするのが自然なことだと理解もできるし、、、
なんかちょっとえも言われぬもやもやは残りますよね。